プチ幸せ気分〜ゼロ死

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【ミミちゃん 天国でも幸せだよね?相変わらず食いしん坊かな?】

このブログのテーマは
「みんなで幸せになろう!」 です。

どちらかというと暗い話題で申し訳ないが
昨今 「逝き方や葬られ方」が変わろうとしているらしい。

家族が亡くなれば、
遺族はなるべく多くの方に送っていただきたいと、
多くの関係者を集めて葬儀を行い、
遺骨は代々の墓に納めるというのが一般的な流れだった。
そう、今までは。。。

しかし、現在、その固定観念は崩壊しつつあるという。
2〜3年前から、「ゼロ死」というのが静かなブームになっているという

では、「ゼロ死」とは何か。
通夜&葬儀をしない―つまり火葬のみの「ゼロ葬」と
墓を持たない「ゼロ墓」を合わせた考え方のこと。
遺骨の処理方法としては、散骨にして遺骨を残さない場合と
火葬場に任せて引き取らない場合がある。

全国の葬儀社対象の調査で、
請け負った葬儀の中で、「ゼロ死」の割合はなんと、22.3%だという。
およそ5人に一人でっせ。
えっ!?そんなに多いの!?
都会限定の割合だったとしても多い気がするのに
全国の割合とはびっくり。本当に?

田舎に住んでいるので、周りに、葬儀なし墓なしの例を知らない。
おそらく今、私の住む田舎で、「ゼロ死」を行ったら、
「非常識だ」「ろくでなしだ」などと思われることだろう。
まだまだ「ゼロ死」という考え方は、理解しがたいことだろう。
まあ、親族からは反対されるのが常だろう。

でも、数年前に、父親が亡くなり、
哀しむ暇もなく 通夜、葬儀の慣わしなど訳の分からぬままに
バタバタと慌ただしい数日間を経験した私としては
「ゼロ死」という考えに共感する。
家族がなくなったあとの数日間は
残された家族が、気持ちの整理を付け 心静かに気持ちよく
死者に別れを告げるための期間であるべきだと思う。

さらに、「ゼロ墓」についてであるが、
お墓がなくなれば、
法事・霊祭(神道)といった行事もなくなるのでは―と期待する。
供養の お経・ 祝詞奏上(神道)や後席の会食は、正直煩わしい。
故人とのよい思い出を、家族がたまに思い出せば
それが供養になると思う。

ここで大事なのは、
『よい思い出のみを(頻繁ではなく)たまに思い出すこと』
これは、父親への処置の判断や対応について
後悔することの多かった私自身への戒めでもある。
(とはいえ、後悔の気持ちを払しょくするには難しい)
よい思い出が、故人にとっても家族にとってもプチ幸せにつながる
と信じる

以上、あくまで 私の願望である。

人によっては、墓がなくなれば、墓参り、お盆、親類縁者の行き来 
などがなくなり、日本独自の風習が廃れると危惧する人もいるだろう。
あるいは、親交のあった思い入れのある方の葬儀に参列し
お別れの言葉をぜひ言いたいと願う人もいるかもしれない。
そういった価値観も大いに理解できる。

つまるところ、送られる人の考えにそうのが一番だろうね。
あっ、くれぐれもお元気なうちに希望を聞いてくださいね。
そうでないとひんしゅくを買うかもしれませんぞ。

〜参考までに〜
散骨の場合、海洋葬といわれる海への散骨が一般的らしいが、
バルーン宇宙葬という企業が行っているサービスもあるらしい。
簡単に言うと、宇宙への散骨だ。
バルーンに入って飛ばされた遺灰は地上には降ってこないらしいので
ご安心あれ。

また、散骨は、個人では勝手にできないそうだ。
専門業者に依頼しなくてはならない。
なかなか窮屈ですなぁ。

追記)
「逝き方や葬られ方」についての願望を書きつつ
実は、家族の死や自分の死に対して、現実味を感じられないでいる。
介護状態の 102歳の祖母は、まだまだ長生きする気がするし
私自身については、「死なないんじゃないの?」
と何の根拠もなく思ったりする。

ちなみに、終活(墓や葬儀などの事前準備)をするつもりは毛頭ない。

とりあえず、プチ幸せ気分いっぱいの幸せ道を究めるまでは
死ねないなと。
みんなで幸せになる世界になるまでは。。。。

そのわりには、不摂生な生活を送っていて、面目ないでごじゃる。


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